自然信仰。狼信仰。
2011年 05月 08日
大口真神式年祭
何でも「大口真神御神像」が初公開されるとのことで、そりゃもう行かないとっ!!!ってさ。
十二年に一度ってことだし、今度お会いできるのは十二年後ってことになる。
ソモソモ…御嶽山での滝行の入り口は「オオカミ」だったから…。
こんな体験に導いてくれた「狼(大神)さん」に会わないわけにはいかないっ!!!でしょ!?
というわけで5/7(土)、初めて本殿に上がり、その姿を拝ませて頂きました
もちろん御神像そのものは撮影禁止だったのですが、本殿内はokだったので、その様子を御紹介
そもそもの狼信仰となったのは、その昔、日本武尊がここの山中で邪神に襲われた時に、
何処ともなく現れた白狼によって救われた、というのが始まりらしい。
と、いうわけで、
日本武尊と狼
狼のみ
狼(大神)さん(♀)
狼(大神)さん(♂)
でね、会いたかった御神像はね、そりゃもう美しかったですよ。
陶器製(多分…)の白狼と黒狼、木造の狼さんもいました。
今度お会い出来るのは十二年後…それまでコオリは滝行を続けていられるのでしょうか。
いや、何が何でも続けなくっちゃねっ
でね、今回この御神像拝観に際し、ずっと前に買って、何となく飾ったままになっていた本を読んだの。
「神なるオオカミ(上・下巻)」
モンゴル遊牧民族の話なんだけど、彼らの「オオカミトーテム」に関して書かれてる。
遊牧民族たちが、いかに自然や動物たちと共存して来たか…。
震災後の今だからこそ、余計に様々なコトを考えさせられた。
うん。そう。
コオリが数年前に「アニマルセラピー」って言葉に出会ってから、色んな本や話から得て来たモノ。
そして「ライフワークとしてずっと触れていたいな」と思ってるコト。
そんなコトの原点がココにはたっくさん書かれていました。
自然や動物とともにあるコト
その深さや難しさ、でも生き物としていっちばん大切にしなければいけないコト。
連休後半、そんなおっきなテーマに想いをはせております
今回ね、滝に行っていつもお世話になっている宿坊の神主さんとお話していて
彼の口から出て来た名言たち
『魂を磨いて磨いて…魂が自立出来るようにしたい。』
『出来ないからと言ってイライラしない。出来るまで止めない。』
『肉体を持っている以上、欲はある。なくなるものではない。』
『ず~っと瞑想していたい。ず~っと人生を考えていたい。それでも一生答えなんて出ない。』
『自分が楽しくあること…それを常に考えている。普通か普通でないか、は全く興味がない。』
どうですか?皆さん…。
こんな時だからこそ、自分に目を向けて見て、こんなことやあんなこと、
普段はバタバタと慌ただしくて気にもとめてこなかったコトを改めてきちんと考える。
今回の震災は残された我らにこういうことを教えてくれてるのではないでしょうかね?
と、何だか書いているうちにとりとめのない話になっちゃいましたが、
そんな感じですわ、はい。
心身ともにリフレッシュした大型連休もおしまい。
明日からはまた、気持ちを入れ替えて頑張るのですよっ
日本における狼って100年くらい前に絶滅してしまっていて、現在の私たちはみじかに接することがない生き物じゃないですか。
それがその昔、共存していて、信仰もあり、それがこういう風にカタチになって遺っている・・・。
と、コメントも何を言いたいのかって感じになりましたが(^^ゞ
でも良いもの見させていただきました!!
こんばんは~。コメントありがとうございます!
そうなんですよ。狼信仰は非常に心惹かれるものがあります。
狼=ワルモノ
なイメージが先行し、絶滅してしまった…。
でも、その痛手として世界で「鹿害」が問題となり、カナダでは、
そもそもの「森の生態系」を取り戻すべく、オオカミを放ったんですよ。
日本でも一部の研究者が検討しているようですが…。
ホントにね、自然と、動物と、共にあることがいかに大切か、
そんなコトを考えずには居られません。
と、書きながら、足元で居眠りしてるろくは、こんな環境で生活することは
ホントは窮屈なんじゃないかなぁ~と思ったりするわけです!?
もっと自由に野山を走れる環境に居た方がきっと幸せなんだろうと…。
と、まただらだらととりとめなく、失礼しましたぁ~。